アンチエイジング対談【ベンジャミン・バトン】後編
第1回アンチエイジングシネマ対談―後編
― 時間軸を逆にすることでメッセージが強くなった ―
記者(以下K)「先生からお借りした、ちいさなちいさな王様という本は、年をとると小さくなっていく設定。この場合は生まれた瞬間に豊富な知識を持っている。カラダの大小でいうと、人間も年をとると多少小さくなりますね」
塩谷先生(以下S)「はい、多少ですが。そいうことも含めて幼児化していくといえます。この映画では本人の気持ちの描写はどうされてました?」
K「始めのほうで、女の子に対して、自分は人と違うというシーンがありました。見た目が若くなった時に『中身は変わらない』とも。後は、若くなっていく自分が家族の負担になってしまうということも言っていました」
S「今思ったんですが、もしこれが現実に起こったら本人にとっては、もっともの凄いショックかトラウマになっていいのかなと。本人がどう感じたかをよりクローズアップしたら、この映画のメッセージも明確になったのかもしれません」
K「確かに本人の気持ちが、直接的にはあまり描かれていない。この原作はフィッツジェラルドですが」
S「グレード・ギャッツビーを描いたね。それ以外は僕もあんまり知らなかったけど。どういう観点で彼がこれを書いたのかなと、興味が湧きます」
K「フィッツジェラルド自身はマーク・トウェイン(トムソーヤの冒険、王様と乞食等を書いたアメリカの作家)による、『もし、人が80歳で生まれ、ゆっくりと18歳に近づいていけたなら、人生は限りなく幸福なものになるだろう』という言葉にインスピレーションを受けて、この短編小説をかいたそうです。どうでしょう?80歳で生まれて18歳に近づいていく…。私たちの世界はそうでないですが、このちいさなちいさな王様を読むとそうじゃない世界があってもおかしくないという気になりますが」
S「ハハハ」
K「でもそうだとしたら、美容整形は必要なくなるんですか」
S「「うーん………(しばし沈黙)。若返っていくのは意味無くなっちゃいますよね」
K「そうですよね。若返ることが普通な世界。この本を読むと、若返ることに固執してしまっている自分がなんだか馬鹿みたいに思えてくる」
S「この本には明確なメッセージがあるからいい。逆に何もはじめから整理されて結論がでているんじゃない。はなからそうだと、それ以外にないと決めていることを、ひっくり返してみるとどいう事になるかという実験ですかね」
― 何がメッセージだったのか ―
S「この映画は、何をほんとは一番言いたかったのかなと思いますよ」
K「私は、どういう風に人生を歩んでも、人と出会って別れて…。そして時は止められない。時の流れがどっち側でも、人生は変わらないのかな、本人次第というか」
S「ですね。だから裏返すことによって、ありきたりのメロドラマではなくて印象的になったということですね。それぞれの瞬間というのが普通なら共に流れていくけれど、この映画では反対の歯車で噛み合うということで、意識させられる。その時の幸せっていうのがね。だんだんはっきりしてきたけど、普通なら時の流っていうのは、ただそのまま流れちゃう。それがいつも反対にそこで止められちゃうっていうか、意識させられると。やっぱり、その時その時が大事な瞬間なんだと。日々の大切さを再認識できる」
― 抗うということ ―
K「ベンジャミン・バトンはある程度、自分の変わった運命、必然を受け入れて生きた。
例えば、美容整形による見た目の若返りを敢えて“抗う”という言い方をすると、必然を受け入れていないということになりますか?」
S「そうですね」
K「でも若返りたいというのも、必然と言うか、当たり前の欲望といいますか…。若返りたいというのとアンチエイジングはやはりちょっと違うというか…」
S「だから、ひとつは若返りたいという場合に、ある程度年相応っていうか、多少年よりは若くみられたいと望む場合と、もっと昔に戻りたいというのでは、全然意味が違ってきますよね」
K「結論を言うと、先程塩谷先生がおっしゃったように、いわゆる普通のメロドラマを時間軸を逆にすることで、一瞬一瞬が大切だよってことを訴えた」
S「時間の流れを意識しないと、いつでも同じ自分でそのままいっちゃう。何も変わっていないような気がするけど、逆にすることによってその瞬間、瞬間で、もう過去は取り戻せないっていう…。過去には戻れないということを、逆回しにすることで意識させられるということもあるかもしれない」
― ベンジャミン・バトンは幸せだったのか? ―
K「最後にお伺いしますけど、塩谷先生から見て、ベンジャミン・バトンは幸せな人生だったと思われますか」
S「いや、そこが一番知りたいところだよね」
二人大爆笑
S「本人に聞きたい。けど、僕は決して幸せではありえないと思う。非常に平たく言うと、僕が同じ立場だったら自殺してると思う。そうでしょ?」
K「うーん。塩谷先生だったらどの辺で自殺していますか」
S「うーん。最初に自分の数奇な運命の先がわかった時にですかね。いや…。この映画を分析することに意味があるのかどうか。ようするに、観ていい映画でよかったっていうのもあるし。ただ、敢えて、抗加齢という立場でみると、いろんな問題定義にはなっちゃっている。作者の意図と関わらずこっちはいろいろと考える」
K「こういう映画もあるよという紹介になっちゃいますね。見た目も中身も大事で、ある1日やある出会い大切にし、何にでも興味を持つことが、アンチエイジングにつながる」
S「こう考えたらどうでしょう。そういう意味ではフィッツジェラルドは、一種の視点変換の実験としてベンジャミン・バトンという人物を作ったと。それでその人物を実際に動かし描いていくと、まあこういうことになって。結局、結果的に瞬間瞬間が大事なんだというメッセージになってきたということですかね」
K「アカデミー賞でも美術・視覚効果・メイクアップは賞をとったけど、内容的にはつじつまの合わない部分もあったのでしょうか…」
S「映像の矛盾もあるでしょう。映画っていうのは昔のたわいない白黒の映画の方が楽しいんですよね。それだけこっちのほうは想像力が豊かになる。こっちの世界がつくれるわけなんです。音楽だって今のステレオになると、生の音との差の方が近くなるほどかえって気になってしまう。はじめっから生の音じゃないんだというIT化された音のほうがずっといいという矛盾がある。だから、この話も小説で読むのと、実際に目の前に出ちゃうのとは違う。前にも見せましたっけ?ヴィーナスの手がどうなっていたかに一生を費やした学者もいるわけです。フルト・ベングラー(指揮者とは別な)といってね。何百という手の組み合わせをかいたけど、どれもしっくりこない。我々が、あの手のないヴィーナスになれちゃって、それであたまの中に固定されている。で、手に関しては勝手に自分達であるべき手を考えているから、どれが具現化されてもダメなんだ。理想的な姿が漠然と抽象的にあるわけで、それが具体化されると全てぶちこわしになっちゃう」
K「確かにそうですよね。これだけ作り上げられた映像をインプットされると、自分の想像力は働かないですね」
S「だから、ベンジャミン・バトンがどう感じたかなんていうことは、小説ならば恐らくテキストでサゼストできるかもしれないけど、これだと中で本人が言わない限り出てこない。それが映像の限界なのかもしれない」
K「インパクトはあったけど、深みはなかったということですね」
S「いや、深みがなかったというか…、こっちが勝手に深読みしてる!しすぎてる!!」
二人大笑い。
S「深読みしなければSFのメロドラマ。他の人の批評も知りたいです」
K「前にフォレスト・ガンプという映画があって、私は酷似していると感じたんですが、実は脚本家が同じだった。一風変わった男がいろんな人との出会いを通じ生きていく様をみることで、自分の人生を見直したり、身近な人との出会いを大切にしようと思えるハートウォーミングな映画ということでしょうか。後は、映像は高く評価されている。私個人はカミナリに打たれる男の話は面白かった!次回、塩谷先生にみていただきたいのは『永久に美しく』というコメディ。どんどん美容整形をしていく話」
S「そういうほうがわかりやすいかもしれません!」
●あなたはどうお感じになりますか?ぜひ、ご覧ください!
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ワーナー・ホーム・ビデオ
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作品詳細
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●ベンジャミン・バトン(ブルーレイ)
●『ちいさなちいさな王様』
塩谷先生のブログ
●塩谷先生ブログ
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