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インタビュー:現代文読解の神様・藤田修一さん(下)――「一生懸命」という生き方

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 駿台の名講師として、現代文の神様として知られる藤田修一さん(81)が写真家として原宿の若者たちを被写体に選んで7年が過ぎた。

藤田修一師時間よ止まれ

 写真集『原宿狂詩曲』は、派手な化粧や服装の若者が大勢写っている。しかし、藤田さんはうわべを見て撮っているのではない。

 若者の表情や仕草などに青春の一瞬の輝きを見逃さない。そこに青春のはかなさをかぎ取る。青春の有限性に気づかない若者たちの屈託のない輝きと陰をとらえ、いとおしむような気持ちで、人生に幸多かれと祈るような気持ちで、シャッターを押す。「時間よ止まれ」という言葉が脳裏をよぎる。

 青春の瞬間的なトキメキを藤田さんが撮影対象にしたのは、はるか昔に失った藤田さんの青春と原宿の若者たちのそれとを比べてみたいと思ったからだ。

死を意識した時代

 藤田さんの青春は戦争という暗い時代だった。慶応大で文学を学んでいたが、学徒出陣を強いられた。「あの時代、徴兵されれば死を迎える。死を意識せざるを得なかった。そこで、残りの時間を凝縮させようと考えた。そうすれば、いい時間を過ごすことができる。そう考えたわけ」

 平和でのんびりした現代において、死を自覚する機会は滅多にない。これは幸せなことでもあり、不幸なことでもある。現代の若者は藤田さんの目にどう映るのか。

「外面においてはまったくの別物です。しかし、内面における青春の属性としてのすべての価値、それと、はかないものの美とは今も昔も少しも変わっていないように思われます」(『原宿狂詩曲』あとがき)

はかなく美しい

原宿狂詩曲 表紙 写真集には一見すると酔狂とも言える服装や化粧をした若者たちの写真が掲載されている。若者たちは有限の青春のまっただ中にいることに気づかないまま輝きを放つ存在なのだ。

 と同時に、平和で豊かな時代だからか、生命の燃焼をなしうる時代ではないからか、若者の心に巣食う空虚さをも藤田さんはとらえている。虚空を見る若者が写真集にさりげなく載っていたりするのである。

「<あはれ花びらながれ をみなごに花びらながれ>と詩人三好達治はうたう。ハラジュクの舞台に散乱する『をみなご』は花びらのように、はかなく、それゆえにこそ美しい。荒蕉の世だと人はいう。時は世相にかかわりなく、うつろい、ながれる。『をみなご』は時のうつろいに傷つくことなど思いもしない」(『原宿狂詩曲』に記した藤田さんの文章)

 きわめて自由な形式の音楽を意味するラプソディーの日本語訳である「狂詩曲」を藤田さんは写真集の名前にした。そこには、原宿の若者たちが謳歌する自由をまぶしい思いで見つめている藤田さんがいるのである。しかし、藤田さんの若者たちを見る目はあくまでも優しい。「狂詩曲」は原宿で瞬間を謳歌する若者たちへの応援歌と言い換えてもいいだろう。

目的を持って時間の緊迫化を

「若い人は生き生きしている。うらやましいね。でも、僕は内面的には生き生きと生きたい」

 事実、藤田さんは駿台時代も写真家としての今も「生き生きと生き」ることを実践している。

「アテ、つまり目的を持つことで、時間を緊迫化できる。何かを手にしたいと思いながら生きる。死ぬまでに何をなすべきか。自分を追い立てる。自ら内部に蓄えるように仕向ける。そうでないとボンヤリした時間を過ごしてしまうでしょ。時間の有限を自覚するの。こうすれば、肉体は衰えるが、精神は衰える暇がない」

「僕は過去を追わない主義。過去に生きてはダメ。前だけを見る。前にあるのは死だ。でも、前に向かって進むしかない。肉体はどうせ滅びる。時間は有限であると自覚すること。今をどう生きるかが肝心だね」

 生と死を強烈に意識せざるを得なかった戦時中の思いが色濃く反映していると言えよう。戦争に書き込まれた青春時代が通奏低音のように流れているのである。

 「どう生きるか」について、藤田さんは写真雑誌『フォトコンテスト』7月号の「一生懸命フォトグラファー列伝」という連載のページを広げた。

一生懸命

原宿狂詩曲 背表紙「ほら、ここ。一生懸命フォトグラファーですよ。一生懸命。古くさい言葉だけれど、これしかないでしょう」と語る。指さす先は「一生懸命フォトグラファー列伝」という見出しだ。ここに藤田さんが紹介されているのだが、紹介されたことよりも「一生懸命」という文字が藤田さんにはうれしい。

 都立高の教師時代、大学院に5年間通い、博士課程を修了した時も一生懸命だったし、駿台時代に現代文読解に独自の方法論を編み出した時も、最高レベルの講義を展開していた時も、そしてカメラを構える時も、一生懸命なのだった。

 読解法を考え出した時のことを「一生懸命に考えましたよ。一生懸命にやれば道は開ける。一生懸命にやることが一番大事だね」と振り返る。この姿勢は、前述した森鴎外のエピソードに連なる。

「ところが、藤田先生はご自身が一生懸命に努力しているところはお見せにならない。いかにもサラリとやっているようにしか見せない。先生の美学です」。藤田さんの40年前の教え子はこう説明する。

 かっこいいのである。

死ぬまで感動

 東京・渋谷の夜は更けゆく。もうすぐ日付が変わる時間になっても、藤田さんの弁舌は衰えない。

「老いに対してじたばたしても仕方ない。しかし、精神で若さを保っていけばいい。そのためには後ろ向きでは終わり。毅然として生きなければダメ。その本質は正義ですよ」

「死ぬまで感動。感動があれば、アンチエイジングになる。最後はハートなんです。有限の自覚を持って、何を、いかにすべきか考えて」

 珠玉の言葉がこぼれる。駿台の教壇で熱く語る藤田師の顔がそこにあった。(AANウェブ編集部・西野浩史)

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