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美女の歴史

1.古代

美女の歴史を俯瞰してまず気付くのは、それぞれの時代で人々が理想とするアイコンの存在である。そこでまず古代から始めて、中世、近代、そして現代までアイコンの変遷を辿ってみたい。
古代は神話の時代なので、その人物が実在する訳ではなく、その神々にふさわしい姿を作家が、絵画、彫刻なりの作品として表した。ミロのヴィーナスなどはその代表であろう。そういう意味では古代の人が理想とし、現実には存在していないものがアイコンとして崇められたといえる。

2.中世

王権時代になると、王侯貴族、つまり支配階級の女性がギリシャの時代の神話に取って変わってアイコンになる。
不思議に思えるのは、その頃は勿論テレビもなければ、それほど印刷技術もあるわけではない。例えばマリーアントワネットが美女であったと言っても、普通の人は実物を見ていないわけである。絵姿もそんなに出回っていたとも思えないし、無論写真もない。そうなると、どのようにして一般の人たちにアイコンとして浸透していったのだろうか。
言えることは、その頃は社会が支配階級と非支配階級に二極化していた。その時代の歴史は支配階級の歴史であり、文化も支配階級の文化が論じられていて、一般の人たちがどういう文化を持っていたかというのは、なかなか分からない。つまり、一般の人が何を美女と考えていたのかは分からないと言える。少なくともその階級社会の中では、マリーアントワネットが一つのアイコンと言えるわけで、その時代にそういったアイコンが肖像画として描かれ始めたようである。

3.近代

後近代には、支配階級としてブルジョワジーが王侯貴族に置き変わるが、依然階級社会が存続し、今度はブルジョアの女性が美のアイコンとなったわけである。やはりここでも普通の人というのはあまり関係ないようだ。
また、体型を整える為にコルセットというものを着けることが流行るのも、この頃からである。

4.現代

映画の誕生で、映画スターがアイコンとなり、一般の人々のレベルで受け入れられるようになった。
その後テレビの普及で、スターが特別な存在からいわゆるタレントとしてお茶の間の仲間として身近なものとなった。
今のAKB48など、古典的な美女のカテゴリーに入るかどうか、どうも隣のお姉さん的な感覚のものが珍重されているようだ。
ただ、一つ言える事は、この先は何でもありになっていくだろう。服飾も、容貌だけではなくお化粧も。だがその反面、必ず古典的な美の巻き返しというものも平行してあるようだ。それでバランスがとれていくのではなかろうか。
20世紀については次項で詳述したい。

 

 

>>>『WHY?Anti-Ageing』バックナンバーはこちら

Dr.SHIOYA2 塩谷 信幸(しおや・のぶゆき)
アンチエイジングネットワーク理事長、北里大学名誉教授、
ウィメンズヘルスクリニック東京名誉院長、創傷治癒センター理事長

現在、北里研究所病院美容医学センター、医療法人社団ウェルエイジングAACクリニック銀座において診療・研究に従事しているほか、日本形成外科学会名誉会員、日本美容外科学会名誉会員として形成外科、美容外科の発展に尽力するかたわら特定非営利活動法人 アンチエイジングネットワーク理事長、日本抗加齢医学会顧問としてアンチエイジングの啓蒙活動を行っている。

【著書】
一年で一歳若返る/アンチエイジングのすすめ(幻冬舎)
美容外科の真実/メスで心は癒せるか?(講談社)
40代からの/頭と体を若返らせる/33の知恵(三笠書房)
「お若いですね」と言わせよう。(ゴルフダイジェスト)
など
ブログ『アンチエイジングブログ!』更新中

 

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