アンチエイジングニュース

 「しあわせ」とは何だろうと考えることがあります。

 拉致問題の仕事をしている関係で、「日本と北朝鮮とどちらの国民がしあわせだと思いますか」と質問させていただくと、ほぼ全員の方から「それは日本人でしょう」とのお答えをいただきます。

 しかし、見方によっては北朝鮮のほうがしあわせではないかと考えることもできます。

 例えば、母親が息子に用意した晩ご飯がオニギリだったとします。北朝鮮であれば、たとえオニギリが地面に落ちたとしても、ほこりを払っておいしくいただくでしょう。しかし、日本ならどうでしょうか。

 母親が息子に対して「ごめんね。今日はオニギリしかなくて」などと謝りながら食べさせていたりするのです。日本人は豊かな生活に慣れてしまったため、物のありがたみを忘れてはいないでしょうか。つまり、それはしあわせが何であるかを知らないのと同じなのです。

 私たち日本人は、何でもあって当たり前という物質的に豊かな暮らしを手に入れた代償に、しあわせの判断基準が高くなってしまい、しあわせを見落としてしまってはいないでしょうか。

 アンチエイジングネットワークの理事をさせていただいている私がこんなことを申し上げるのは自家撞着に陥っているのかもしれませんが、「健康で長生きが一番」という価値観がいつも正しいとは限りません。すべての人が健康で長生きをすることを望んでいるのではないのです。

「ようやくがんになった。これで天国のおじいちゃんに会える」と考える人だっているのです。

「こうすれば医者にかからず長生きできる」という価値観があってもいいのですが、それならば「無理に長生きしたくない」という価値観も尊重されなければなりません。

 シワをなくし、シミを消した肌はもちろん美しいのですが、お年寄りの肌に深く刻まれたシワもまた美しいものであるということも忘れてはなりません。

 「しあわせ」には普遍的な基準がないということにこそ普遍性があることを覚えておくべきではないでしょうか。


田代博嗣=AAN理事、日本医科大客員教授、東京都議

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